昨日の晩、トイレで落語の稽古をした後、部屋に戻ると携帯に着信があった。
『旧友との再会』
http://nejisiki27.cocolog-nifty.com/blog/2008/11/post-6be2.html
で触れたM君からだ。
しばらく会えなくなるので、電話をしたかったと彼は切り出した。
この前、会ったとき僕はM君の話にただ相槌を打っていた。
M君は溜まりに溜まった愚痴を話し続けた。僕はひたすらそれを聞いた。
M君は変わらない。あらゆる意味で変わらない。二十歳の頃と今の言動がほとんど変わっていない。恐ろしいまでに一貫している。
M君と会うと必ず口にするのが、女性に対する憎悪だ。今の世の中にはろくな女がいない、それも馬鹿な男が甘やかした結果だと何度も何度も、呪詛を吐き続ける。
その度に僕は言っていた。そんな女の人ばかりではないよ。僕はそうは思わないので、その考えには共感できないと。
でも彼は必ず会うたびに繰り返しそれを言う。
数年前からM君と会うのが段々と億劫になっていった。
彼は漫画家としての画力、スタンスなどはすばらしいもの持っていた。過去に驚愕するような作品を創りだしていたし、僕は彼の才能を高く評価していた。
だから鬱陶しいなと思いつつも会い続けたのである。人間的にはきついなあと思いつつもクリエイターとしての彼には敬意を払っていた。
だが悲しいことに彼の作品は後退していた。袋小路に迷い込んだように思えてならなかった。
この前会って、愚痴を聞かされた後に彼の漫画を読んで、改めて思った。
「もう無理だ。方向性が違いすぎる」
デビューをしていない新人が100ページ以上の漫画を描く。その意図が僕には全く理解できない。
彼は潰れた大手自費出版社に持っていくつもりだったようだが、なぜ商業漫画雑誌に投稿、持ち込みをしないのかもわからなかった。
M君は問う。
「プロになることだけが全てなのか?」と
でもクリエイターを目指す以上、プロを志さないと意味がないと僕は思う。
ここが決定的に違うのだ。
せめて32ページ以内にまとめないと、編集者は相手にしてくれないよと僕は言った。
だがM君は譲らない。
そうじゃなくて、ページ数とかではなくて、作品として評価してくれと。
同じ日本語を話しているはずなのに、彼の言わんとしていることがまるで伝わってこない。
根本的な価値観が違うとしかいいようがなかった。
生き方の違いなのだと思う。別に僕はM君の生き方を否定する気はない。ただ全く共感はできない。
彼はプロになりたいと切望する僕を不思議そうに見ている。
なぜそんなにプロ志向になれるのかがよくわからないそうだ。
昨日の電話でも昔からそんな考え方だったか? と聞かれた。
前からプロ志望だったよと僕は答えた。
以前からプロを目指していたが、ひとりで創作していた時期はどうしていいのかわからなくなった。それで二年前に作劇塾の門を叩き、プロを目指す上でのスタンスを段々と教わっていった。
二年前の僕と今の僕とでは、恐らくかなり変わっていると思う。入塾する前は人前で落語などしようという人間ではなかった。
塾に入り、たまにお会いできる一流のクリエイターと触れ合うことで、僕はそっちの世界へ行きたいと思いが強くなった。
ひつこいようだがM君は変わらない。今の自分で満足しているかどうかはわからないが、ずっと変わらない。
十年以上彼女を作らず、自分の描いた漫画を高校時代の数名の友人に見せて批評してもらう。プロのクリエイターも、クリエイターを志す仲間も周りにはいない。三十を過ぎて未だに実家暮らし。実家の仕事を手伝いながら漫画を描いている。
こんな環境で僕は面白い漫画が描けるとは到底思えないのだ。
人間の生き方は顔に表れる。こう言っては悪いがM君は顔に鬱屈が滲み出ている。以前、苦笑いを浮かべながら話していたが、人相が悪いから電車では彼の隣の席に誰も座らないそうだ。
長くなってしまったが、M君が電話で伝えたかったことは、言いたいことがあるのなら直接その場で言って欲しかったということだった。
その通りだと思う。
だが僕はそれをしなかった。なぜならもう僕の中でM君はさほど重要な人間ではなくなっていたからなのだろう。
その人間によくなって欲しいとかここを変えたらいいのに思った場合は、相手に厳しい言い方をするようにしている。鬱陶しいと思われようと説教じみたこともたまに言う。おせっかいなまでにその人に関わろうとする。
僕は非常に冷たい部分を持った人間なので、どうでもいいやと思ってしまうと、もう相手に全く配慮をしなくなる。相手の立場に立つのを放棄する。
僕がM君にとったひたすらだるそうに相槌を打つという態度は、彼からすれば失礼だったと思う。それはよくわかる。だがどうしようもなかった。コントロールができなかった。
僕の頭の中で、なぜM君は変わろうとしないのだろうという疑問がずっと浮かんで消えなかった。
やはり価値観の違い、生き方の違いとしか言いようがない。
前にブログで書いたが、同期で唯一プロ漫画家として活躍しているYは、飄々としている。余裕があり、人生を楽しんでいるのが雰囲気から出ている。だから人が寄ってくる。
M君は人を寄せ付けない。まるでヤマアラシだ。近づく人間を己の針で傷つけてしまう。だから段々と人が離れていき孤立していく。
どちらの人生を歩みたいと聞けば、言わずもがなだろう。
これを書いていてふと思ったのだが、彼はどういうことで笑うのだろうか。今の生活でどの瞬間が楽しいのだろう。彼の笑っている姿をなぜか想像できない。
以前、創作の話をしていたとき、漫画を描く作業はそんなに楽しくはないとM君は言っていた。しんどい、苦しいと語っていた。
だからだろうか。彼の漫画は暗くて重い。内面のヘドロのような感情を紙の上にぶちまけているといった印象である。とてもエンターテイメントとは思えない。作品と創作者は似ているというが、M君と彼の作品も驚くほどよく似ている。
相手を楽しませるのではなく、自分の思想を長々と語って理解を求める。悪く言えば押し付けである。恐らく相手の立場に立つことが苦手なのだ。ということはプロのクリエイターにはどう考えても向いていない。読み手の感情を揺さぶるような作品を創り出すのは至難の技だろう。
二十分以上電話で言いたいことを言い合ってひとつ確信した。
塾に入らずに実家で創作活動をしていたら、僕もM君のような生活をしていただろう。
考えるとぞっとしてしまう。
僕からすれば彼はプロを目指しているようには見えない。人に楽しんでもらいたいのではなくて、自己満足を優先して創作しているようにしか見えない。誰もデビューしていない新人の生き様になど興味を持たないということに彼は気づいていない。
専門学校は心斎橋の近くにあったので、昔はよくM君とKと僕とでクリスタ長堀へ行き何時間も語り合ったものだ。
だがある日、Kも漫画を描かなくなり、僕がなぜ描かないの? と聞いた直後から音信不通になった。
そしてM君と会うことは二度とないだろう。
お互いの価値観と方向性が決定的に違うというのを昨日の電話で嫌というほど知ったからだ。彼もそれについては理解を示してくれた。
M君に対して憎しみや憎悪といった感情は全然ない。ただひたすら残念である。
専門学校を卒業してもまだ創作活動を続けていた人間は、片手で数えるほどだったので本当に寂しい。
M君にはもっと人生を楽しんでもらいたいのだが、今の生き方ではそれも難しいのではないだろうか。
だがいくら言葉を重ねたところで、僕の言葉が彼に届かないのは経験上わかっている。そういうものが積もり積もって僕の心がついに折れてしまったのだ。
彼は十年後も同じ生き方を続けていることだろう。
さらば友よ。どうかいつまでも元気で。
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