ふと気づく
今、とある計画を練っていて、そのために自分の書いた短編に絵をつけてもらう、という試みをしている。
これをやって思った事は、極めて当然なのだが、小説と映像というのが決定的に違うという事だ。
短編の性質上、ラストにオチを作るのだが、小説の場合だとオチの後にも結構、うだうだと蛇足の文章を付け足してしまう。
蛇足といっても、味わいのある蛇足というべきものだ。文章の場合、一見無駄であっても、それは完全な無駄とはならない事がある。
それに反復の面白さというのも存在する。似たような内容の事を繰り返し、繰り返し、書く事によって笑いを誘う。いわゆる“天丼”というやつだ。
僕は結構ひつこいぐらいに、反復の笑いを狙った文章を書く方なのだが、これもその場面を映像化すると、あまり面白くないというのがやってみてわかった。
映像化が前提となるシナリオは記号で、文章は味わう物という事なのだろう。
他の分野とコラボレーションすると、こういうところに気づくのが、実に面白い。
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コメント
音楽の分野から登場した町田康、中原昌也、川上未映子。演劇の分野からは前田司郎、岡田 利規、本谷 有希子。映画業界からは青山 真治など、数えればキリが無いくらい、特にここ数年の現代文壇は諸分野からの進出が目まぐるしいです。
どの業界にせよ、他から要素や経験を持ち込んでくること、或いはコラボレーションすることで、やはり既成のリアリズムを越えた何か新しいものが生まれるのでしょね!
ただ、こうやってみると純文学の世界は特に、文学一本で来てる人が少なくなってきていて、それはそれで方法としての文学の限界や閉塞感を感じてしまったりもします。
もはや記号に近い存在になってしまった「村上春樹」の小説のみが強烈に売れてしまうというのは、それはそれで現代文学界に寂しさを感じてしまわざるをえないです。
投稿: 君吉 | 2009年6月25日 (木) 02時23分
コメントありがとうございます。
言われてみれば確かにそうですね。確かゲージツ家の篠原勝之、通称クマさんも小説を書いていた記憶があります。
やはり小説しか読んでいない人というのは、小説の枠内に収まる、いわゆる既存の作品を書いてしまう傾向がありそうですね。もちろん、それはそれで面白いのですが、「小説でこんな表現ができるのか!」と心を揺さぶるような作品の方に僕は心を惹かれますね。
僕の敬愛する筒井康隆、町田康といった方々はまさしくそうでした。
投稿: 管理人 | 2009年6月26日 (金) 01時30分