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2010年3月

飴道

大阪のおばちゃんは何かといえば飴をくれる、というのが定説になっているようだが、僕自身あまり飴をもらったという記憶がなかった。

でも今日、ある方から飴をいただいた。

ただし

「虫歯の治療跡の詰め物が取れる恐れがあるから、くれぐれも噛んじゃダメよ!」

と念を押された。

飴は奥が深い。

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限定しちゃうぞ

どういう状況でそうなったのかは分からないが、道路上にぶちまけられたお弁当などを目にする事がある。

白飯が飛び散ったり、おかずが踏み潰されたりしているのを見るのが嫌で仕方がない。

なぜこんなに気持ちが悪いのだろうか?

勿体無い、という感覚ではないのだ。

視覚的に気持ちがよくない。

道路上にあるからなのか、踏み潰されているからかはよく分からない。

僕は、最近何が気持ちが良くて、何が悪いのかを頻繁に考える。

喜国雅彦さんの書かれた『傷だらけの天使たち』という4コマギャグ漫画の中で、こういうのがあった。

繁華街で若い女の子たちが、猫の話をしている。あの猫はかわいいとか、私はあの猫がいいとか、笑顔で猫について語っている。

ページがめくられると……

車に轢かれた猫が、どアップで丸々1ページ描かれている。腹からは内臓が飛び出している。

先ほどまであれだけ、猫の事を話していた女の子たちは、その轢かれた猫に関しては、決して話題にせず、もう違う話をしている。

なんともシニカルな4コマだ。

当然ながら彼女たちが好きなのは

『内臓が出ておらず健康な猫』に限定されていたという訳だ。

そして『行け! 稲中卓球部』の中にもこんな話があった。

公園で捨てられている赤ん坊を拾った井沢は、突然、母性愛? に目覚め、その赤ん坊を我が子のようにかわいがり始める。しかし、その子がおもらしをした瞬間、いきなり育児放棄をし「そいつは俺の中では単なるでかいウンコになってしまった」と、非情な台詞を口にするのだ。

井沢が愛せるのは

『うんこをもらしていない状態の赤ちゃん』に限定されていたという訳である。

このように考えると、僕が好きなのは

『机やテーブルの上に清潔な状態で置かれた、冷めてないお弁当』に限定されているのかもしれない。

あと、味噌汁がついてたら最高だ。

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『雨が降ろうと槍が降ろうと』《創作物》

おかあちゃん

ほんならわし、仕事行ってくるわ

多分、帰り遅くなるから先寝といてな

はいはい、行ってきます

今回の仕事は思いのほか、てこずってるなあ

この前、体調崩して一日休んだのが痛かったなあ

あれでペース狂ってもうたんや

ほんまやったらもう終わってるはずやのになあ

さあ、こんな事言うてる暇はないわ

はよ会社行って仕事しよ

本音をいえば、体調まだ優れへんけど

今日は絶対、会社休む訳にはいかんねん

例え雨が降ろうと槍が降ろうと……あれっ……

うーわ、なんなんもう

ほんまに槍降ってるやん

みんな串刺しなってるやん

お隣の中村さんも

新聞配達の兄ちゃんも

たむろしてるヤンキーも

野良猫タミーも

ヤクルトレディーもみんな頭から槍が刺さってるやん

頭頂部から尻に貫通してるやん

かなんなあ

地獄絵図やな

こんな目にだけは合いたくないわ

一番嫌な死に方かもしれんなあ

あれっ

今、ブスッて音したなあ

誰か近くでまた被害にあったんかなあ

なんや、歩いてるのに

全く進まんようなったがな

これ、どういうこっちゃ

なんか頭のてっぺんが痛いけど

これやっぱり……

あかん、わし気が弱いから

確認したら絶対気絶してまうわ

下だけは見んとこ

人間、いついかなる状況でも

希望を持って前に進み続けんとな

下向いてたら前を見れへんからな

幸せが逃げていくんや

むしろ、こういう時はあえて上を向くべきやな

うーわ、最悪や

上なんか向かんかったら良かった

百舌が枝にバッタ突き刺してるやん

『百舌のはやにえ』っちゅうやつやな

あの鳥、性格悪いなあ

今、ちらっとわしの方見たやん

「現実を直視しろ。お前も今こうなってるねんぞ」

って言いたいんやろうなあ

悔しいなあ

鳥なんかに馬鹿にされるなんて

イタッ

また今、槍が刺さったんとちゃうか?

なんでわしだけ二本も刺されなあかんねん

なんぼ日本男児やからいうたかて

納得できひんわ

なあ、そこの百舌よ

今、わしかなりオモロイ事言うたよな

『二本』と『日本』を掛けたんやぞ

おいっ

何すんねん

何で糞を顔に掛けるんじゃ

そんな余計なもんは掛けんでええねん

ほんまこんな状況でダジャレ言うなんて

命掛けなんやで

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プロの凄み その2

一昨日、怪獣絵師の田宮教明さんのお誘いで、塾長、数人の塾生とで岸里に某所のイラスト展へ足を運んできた。

当日はポカポカ陽気で、チンチン電車を待っているだけで、顔が綻んできそうなくらい、ゆったりとした時間が流れていた。

色々な絵や壁新聞、そして2階には巨大ロボットなども置かれており、真に興味深い場所だった。

塾長とわれわれが2階でロボットと戯れていると、田宮さんが上がって来られ挨拶をして下さった。

その後、「ゴジラの絵見たくない?」と聞かれたので、「もちろんみたいです!」と即答。

田宮さんが車を駐車されている場所まで移動する我々。

車のトランクから出てきたのは、ゴジラの油絵。

思わず息を飲む一同。

なんと7ヶ月もかけて、描いてこられたとのお話であった。

7ヶ月という期間、テンションを保ち続けるのは大変だと、田宮さん。

初代ゴジラの絵だったので、映画のポスターぐらいしかゴジラの色で参考になるようなものはなかったらしい(初代ゴジラは白黒なので)。

『油絵ゴジラ』からは訴えかけてくるものが多分にあった。

僕のような絵に詳しくない人間でも、その絵がすばらしいというのは伝わってくるのだ。

良い作品は誰が見てもいいのである。

これがプロなのだなと、思った瞬間だった。

田宮さんお誘いいただきまして、ありがとうございました。

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プロの凄み

僕はプロのミュージシャンのライブには、数えるほどしか行った事がないのだが、昨日数年振りに行ってきた。ビギンのライブに。

20歳頃にビギンと出会って、それから何枚ものアルバムを手に入れて繰り返して聴いた。

昨日、僕が行ったビギンのライブは、ビギンの20周年記念ライブだった。

ビギンにとって大阪は特別な意味合いがある土地らしく、なんと3時間半の間に演奏された曲は65曲。

ほとんどノンストップでの演奏が続いた。

会場はほぼ満員で1万人前後の人たちが詰め掛けていた。

ビギンは三人編成のバンドなので、単純に客数を三分の一ずつ割ると

一人3333人を相手にしている事になる。

うーん。凄まじい。

しかもボーカルの比嘉さんは、3時間以上歌い続けても全く声が衰える事がなかった。

20年以上、一線でやり続けている人たちの凄みを体感した一日だった。

沖縄の踊りをアリーナにいる数千人の観客が踊る場面があるのだが、それが物凄い光景だった。スタンド席の僕から見えたのは、手、手、手……。何千本という手が蠢いたおり、異様としか言い表せなかった。

まるで白夜書房のCMのようだった。

もしくはイカの足のようだった。

ゲソだ。

最後につまらない事を書いてしまったが、ビギンの25年記念も大阪でやりたいと言っていたので、それが実現すればぜひ見に行きたい。

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『インタビューwithキタイ花ん』更新情報

キタイ花んに出演している芸人さんへのインタビューをやらせてもらっております。

今回は『ヒトガタドールズドール』のお二人にお話を聞かせてもらいました。

こちら⇒インタビューwithキタイ花んで、記事を公開しておりますので、興味がおありの方はぜひご覧下さいませ。

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誤作動

かなりテンぱった状況で

「ホッチキス取って」

と口にしているつもりが、実際は

「サンドイッチ取って」

と言っていた。

うーむ。

確かにどちらも挟むもんだけど。

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本当の強さとは?

二年半ほどの期間、よく顔を合わせていた仲間との別れが今日あった。

また会う日が来るかもしれないし、もう来ないかもしれない。

この先の事は現段階ではわからない。

最近の彼の様子を見ていて、遅かれ早かれ、この日が来るだろうとは予測していた。

彼とは色々な場所に一緒に行ったし思い出も多い。

今でも彼の事は人間的に好きだ。

ただ弱すぎた。

僕も決して強い人間ではない。

すぐ怠けてしまうし、よく心の中で言い訳をしてしまう。

最近、強さとは何かとよく考える。

その答えのひとつとして、人を信頼できる事なのかなと思う。

そして、どんな状況でも希望を見出せる事。

これと決めた事は最後までやり遂げる事。

この二つも強さだといえる。

何の悩みもない人間は、単に頭が悪いだけだとしか思わないが、いろんな苦悩を乗り越えて、時に死にたくなるような裏切りにあったとしても、人を信頼し希望を見出せる人間は本当に強いと思う。

僕の通う作劇塾の歴史を紐解いてみると、決して明るい事ばかりではない。その逆の事が度々、起きていたりもする。

それでも塾長は塾生に希望を見出して、塾を続けておられる。

素直に強い人だと思う。

塾に通い始めて、もうすぐ3年。

改めてこの作劇塾は奇跡的な場所だと思う。

もっと強くなろう。切にそう思った。

人のためにも、そして自分のためにも。

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日本の四季とエロスの関係

最近、性に関する対談本を読んでいると、戦後の日本人女性はパンツを穿くようになったばかりの頃は、下着を見られても別に気にしなかった、と非常に興味深い事が書かれていた。

パンツを穿く習慣がずっとなかったものだから、穿き始めた頃は下着という感覚があまりなかったらしいのだ。

その後、パンツを穿く事が習慣化してくると、段々見られると恥ずかしいという概念が生まれてきて、現在に至るという訳だ。

ヴィクトル・ユゴー著の『レ・ミゼラブル』で、自分が思いを寄せている女性が、偶然他の男に脚を見せてしまい

「俺以外の男に脚を見せやがって!」と烈火の如く怒るという場面があるそうだ。

これは18世紀に書かれた作品なのだが、当時は今のように脚を誰にでも見せる、という時代ではなかった。

このようにエロスの基準というのは、時代によって変わってくる。

当然ながら日本では冬になると寒くなるので、女性の多くは薄着をせずに、たくさん着込む。必然的に露出は少なくなり、生脚が見える頻度も少なくなる。

暖かくなってくるとともに、段々と露出度も高くなっていく。

これがちょうどいいのではないかと思う。

もしこれが常夏の国のように、年中暖かかったら、メリハリがなくなる。

ある時期に隠して、ある時期になるとまた見せる、というのがエロティックなのではないかと思うのだ。

そういえば中島らもさんのエッセイに『素っ裸の女子高生ほどつまらない物はない』といような事が書かれていた。

何とも印象的な言葉である。

どういう意味かはあえて説明しない。

どうか想像していただきたい。

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ポケット大好き人間

最近になって自分はポケットに依存して生きている事を知った。

ズボンのポケット、ダウンのポケットなど全部合わせると8つぐらいになるだろうか。

今、着ているダウンは前に着ていたものよりもポケットが多いので、それだけで愛着が沸く。

何も買わずに出かける時は、ダウンのジッパー付き内ポケットにマンションのカードキーを、外のジッパーポケットには、筆記用具や名刺、貴重品、そしてズボンのポケットには自転車のキーを常に入れている。

僕の財布はレシートなどでかなり分厚く、持ち運びにくい。

じゃあカバンを持てばいいではないかと、いう声が聞こえてきそうだが、そんな金はない。

だから財布を家に置いたまま、家を出るのは密かなる快感だ。

だが問題もある。

さすがに年中、ダウンを着ているわけにもいかない。

この頃、また寒くなったが、春はもうすぐそこまで来ている。

ダウンともしばしのお別れをする日が近づいてきている。

さて夏はどうしたものか。

悩みの種である。

いっその事、カンガルーのように自分の体にポケットがあれば便利だ。

オーストラリアに生まれればよかった。

有袋類に生まれればよかった。

でもタスマニアデビルになるのだけは勘弁だ。

そういえば、ドラえもんにもポケットがある。

そうか、ドラえもんは有袋類だったのか。

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夜に襲い掛かってくるもの

僕の正面にある部屋から決まって夜の11時ぐらいになると

『もういやや~』

とか

『死んでくれ~』

という男の叫び声が聞こえてくる。

夜になると、いろいろなものが襲い掛かってくるのだろうか。

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お口直し

昨日、僕を含めた4人の作劇塾、塾生+ゲス神様とで、ドラえもんの新作映画『ドラえもん のび太の人魚大海戦』を観に行ってきた。

ストーリーに入る前に僕はまずドラえもんのキャラクターがダメだった。僕の隣に座っていたS君の後で聞いたところ、彼はジャイアンのキャラに違和感を覚えたと言っていた。「ジャイアンというキャラクターが崩壊していましたね」と。

映画になると、のび太が格好よくなったり、ジャイアンがいい奴になったりと、そんな変化ではないのだ。もう根本から変わっているとしか思えない。

僕は藤子F不二雄先生とA先生が大好きなので、あの方たちの生み出したキャラクターに深い愛着を持っている。

正直、最近の新作に出てくるドラえもんは、ドラえもんであってドラえもんでないとしか思えない。

帰宅した僕は、すぐにてんとう虫コミックスを引っ張りだし、ドラえもんを読み耽った。

そこには、僕が幼き頃より慣れ親しんだあのドラえもんがちゃんと存在し、心底ほっとした。

改めて自分がドラえもんを好きなんだと、わかった一日だった。

まあこんな事を書いておきながらも、来年の今頃はまたドラえもんの新作を観に行っているのだろうけど。

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ギャグとSFの共通点

ギャグというのは価値観のズレから生じやすい。

『ボケ』とは意図的にズレを起こして笑いを生み出すのに対し、『天然ボケ』とは存在そのものがズレている人を見てズレ具合を笑う。

傑作ギャグ漫画『行け! 稲中卓球部』の11巻に収録されている『その122 トウルース』という話がある。

どんな話かといえば、堤防で前野と井沢が座っていると、いかにも怪しげな中年男性が近寄ってきて

「君達が聴く歌、見るテレビ、学校で教わる教科書、子どもに対するあらゆる情報、アレはすべてウソなんだ。だけどおじさんは君たちに真実を伝えたい」

と、とんでもない事を言い出す。

怪しみつつも、その男と一緒に一軒家へ行く前野たち。

そこには前野、井沢と同世代ぐらいの男女数人が集まっている。

稲中を読んだ事のない人もいると思うので書いておくと、この前野と井沢というのはブサイクキャラだ(井沢には可愛い彼女がいるけど)。

しかし、そんなブサイクな二人がここではイケメン扱うを受けるのだ。そして、珍しく女性からモテてしまう。

帰り際に、『真実を知る費用』という事で、中年男に2千円を払って話は終わる。

僕はこの話を読んだ時、非常に不思議な感覚に陥った。決して、爆笑するわけでもない。だが、心の中が妙にざらつくというか、何かが残るのだ。上手くいえないがちょっとイヤ~な感じ。

今から思えば、この話はちょっとSFっぽかったのだ。『おぼっちゃまくん』にも似たようなテーマを扱った回があったのだが、『美』と『醜』の価値観が逆転しているからそう感じるのだろう。

またギャグ漫画の話になるのだが、『行け!! 南国アイスホッケー部』という少年サンデーに連載されていた漫画の中に、『割り勘星人』という宇宙人が出てくる。確かスターウォーズのパロディみたいな話だったと思うのだが、この割り勘星人は、割り勘をする事に何よりの喜びを覚えており、それを見た地球人は言う。『全く、割り勘の何がそんなに嬉しいんだ』と。

『燃える! お兄さん』にもポキール星人という宇宙人が出てくる。彼らの価値観は地球人とほとんど正反対だ。ポキール星では、赤信号で車がビュンビュン行き交っている時に道路を渡る、というルールがあるので、それを地球でそのままやってしまい、ポキール星人たちは大怪我を負う。

幼い頃の僕は、それを見ながらゲラゲラ笑ったものだが、案外、我々地球人が他所の星へ行くと、日常で普通にしている事が笑いを誘うのかもしれない。

それが一生懸命であればあるほど、笑いが大きくなるのだろう。

SFをサイエンスフィクションではなく、『少し不思議』と意味づけた藤子F不二雄先生のセンスには本当にすばらしい。

※ここでいうSFというのは広義としてのSFです。

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プレゼント

もう亡くなってしまったが永沢光雄さんという人の書いた「AV女優」というインタビュー本を10年ほど前に読み、ずっと印象に残っていた。

この前、図書館で永沢光雄さんの本を見つけた。読んだ事がなかったので借りる事にしたのだが、家に帰ってから気づいた。

しおり代わりなのかはわからないが、2枚のエロDVDがむき出しのまま挟まっていた。

試しに家のDVDデッキで再生してみた。

きちんと見れた。

ラッキーだ。

きっと天国の永沢さんからのプレゼントに違いない。

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『インタビューwithキタイ花ん』更新情報

キタイ花んに出演している芸人さんへのインタビューをやらせてもらっております。

今回は『カバと爆ノ介さん』のお二人にお話を聞かせてもらいました。

こちら⇒インタビューwithキタイ花んで、記事を公開しておりますので、興味がおありの方はぜひご覧下さいませ。

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『アバター』を観に行く

昨日、話題の『アバター』を観てきた。

予想していた以上に面白く、3時間近くあった上映時間中、まるで退屈することがなかった。

やはり驚くべきは3Dである。

たまに催してか、席を立つ人がスクリーンの前を通るのだが

その人までもが映画の一部なのかなと、一瞬思ったほどだった。

将来的には、自宅で3Dが見られる時代が来るのだろう。

どれぐらい先になるかはわからないが、非常に楽しみだ。

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自分とよく似た顔

この前、ドラえもんに関する記事を書いたが、また書きたいことが出てきた。

てんとう虫コミックス2巻に『正直太郎』という話が収録されている。

『正直太郎』というのは、ドラえもんの道具で、腹話術のような男の子の人形だ。

それを抱いている人が心に思ったことを、なんでも代弁してしまう。

のび太の叔父である玉夫おじさん。彼は意中の女性がいるけど、勇気がなくて中々思いを伝えられない。

そこでのび太とどらえもんは、正直太郎の力を借りて、玉夫おじさんの恋愛が上手くいくように仕向けようとする話。

この正直太郎、その名の通りなんでも正直に話してしまう。

物語の前半で、正直太郎を抱いたまま歩いているのび太とドラえもんの前にブルドックを散歩させてるおばさんが通りかかる。

このおばさんとブルドック、顔が瓜二つなのだ。

そこで『うわっ、そっくり』と、ドラえもんの気持ちを正直太郎が代弁してしまい、おばさんを怒らせてしまう。

僕はふと思った。おばさんは自分の顔がブルドックに似ているという自覚がなかったのだろうか? と。

多分、なかったのだろう。もしあれば、チワワとかミニチュアダックスフンドなど別の人気種を購入したはずだ。

だが別の見方もできる。

人間は自分の顔と似た顔に愛着が湧くという説がある。

好きになる人の顔は、どこか自分と共通項があるらしいのだ。

そう考えると、このブルドックを飼っているおばさんは、ペットショップで犬を選んでいる時、無意識にブルドックを選んでしまったという考え方もできるのだ。

だからこそ、顔がよく似ていると核心をつかれ、おばさんは激怒したのかもしれない。

そういえば、昨年まで楽天の監督を務めた野村克也氏とその妻であるサッチーの顔はよく似ている。

やはり人は似た顔を選ぶのだろうか?

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