書籍・雑誌

『もたない男』 中崎タツヤ

Book

僕の大好きな漫画家、中崎タツヤ氏が“物を捨てる”ということに関して書いたエッセイである。

どういう考え方の人なのか、とずっと気になっていたのだが、この本を読んで少しだけ理解できたような気がする。

中崎氏の仕事場は、ほとんど何も置かれていない。

恐らく最も物の少ない漫画家だと言われている。

そんな仕事場で過去の記憶を頼りに彼は漫画を創作する。

『じみへん』という漫画をずっとスピリッツに連載している中崎氏。

恐らく中崎氏自身も地味な人に違いない。

文章も語る内容も淡々としている。

感情というか、抑揚がほとんど感じられない。

どこか、つげ義春を想像してしまいそうになる。

驚いたのが、本を捨てながら読んでいくのだという。

どういうことかと言えば、読み終わったページをちぎってゴミ箱に捨てるのだ。

物を捨てても記憶が残るからいいというのが中崎氏のご意見。

残らない記憶は、たいした記憶ではないのだそうだ。

達観しているとも取れる。

物が捨てられなくて困っている人は、ぜひ一度お読みになればいいと思う。

本当に本当に淡々と書き綴られている。

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『時間がなければ自由もない 尾崎豊覚書』  須藤晃

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ずいぶん前に買ったまま読んでなかった尾崎豊関連の本を読んだ。

僕は尾崎豊が大好きで、彼の出したアルバムは全て買っている。

『時間がなければ自由もない』

という身も蓋もない本のタイトルだが、実に興味深い内容だった。

著書の須藤晃氏は尾崎豊がデビューした際に担当を受け持った音楽プロデューサーだ。他にも浜田省吾なども受け持つ敏腕プロデューサーである。

なるほどなと思ったのが、尾崎豊は十代のうちにリリースした、最初の三枚のみが傑作だという説だ。

尾崎豊で知っている曲は? と問われれば

『I LOVE YOU』

『卒業』

『15の夜』

『OH MY LITTLE GIRL』

などを挙げる人が多いのではないだろうか。

驚くことにこの上記の四曲のうち三曲がデビューアルバムである『十七歳の地図』に収録されている。

卒業も二枚目の『回帰線』に収録されている。

須藤氏は三枚目までが傑作というが、実は二枚目までだと僕は思う。

それくらいこの二枚のアルバムは名曲揃いだ。

須藤氏の分析では、尾崎豊が熱狂的に支持された理由。それは世間の勘違いだという。

そして稚拙さゆえのストレートな作品が、色々なタイミングもあってピタリとはまり、尾崎豊は結果的に“カリスマになってしまった”と、須藤氏は記している。

尾崎豊と須藤氏は一度、疎遠になった後、また再会する。

最後のアルバム『放熱への証』の際、須藤氏は何度も「分かりづらいよ。尾崎」と伝えたという。

尾崎豊の曲は後期になればなるほど、観念的になっていく。

アルバムのタイトルの『放熱への証』も、ぱっと聞いただけでは何のことか分からないし、その中に収められている『贖罪』や『原色の孤独』という曲名も、初期の作品と比較すれば分かりづらくなっている。

クリエイターやアーティストというのは、作品を重ねるにつれてテーマが重層化していく場合が多い。

だから初期の方がわかりやすく、伝わりやすいエンターテイメント作品になっているケースがよく見られるのだ。

ファーストアルバム『十七歳の地図』に収録されている『僕が僕であるために』なんか、タイトルからして非常に分かりやすい。

最近、尾崎作品を聞きなおして思うこと。それは『人よりたくさんの悲しみを抱えていた』ということだ。

幻冬舎を立ち上げた出版界の風雲児、見城徹氏は新宿の雑踏の中に流れてきた『シェリー』という曲を聴き、「なんて切なさを背負った人なんだ」とショックを受けたそうだ。

その後、尾崎豊の事務所に通い続け、尾崎豊に処女小説『誰かのクラクション』を出版する運びとなる(ちなみのこの本は30万部のベストセラーを記録した)。

そんな見城氏もやがて尾崎豊と袂を分かつことになるのだが、ある意味、尾崎豊の死は仕方が無いと捉えていたそうだ。

破滅に向かっていたのだから、いずれにせよ若くして亡くなるのは運命だったのではないかと。

須藤氏は

「尾崎豊はナンバーワンではなくオンリーワンだった。第二の尾崎豊なんて現れるわけがない。僕は彼のことを本当に愛していた」

「だがもう尾崎豊みたいな人間とは出会いたくない。本人は猛スピードで生きているのだから、必然的に周囲の人間は火傷をしてしまう」

と痛切に書き記している。

尾崎豊が死しても依然、作品は残り続けていくのだが、同時に彼は近しい人に痛みの癒えない深い傷を残したのではないだろうか?

その鋭い刃が自分に向かったのだとすれば、彼の夭逝はある意味、必然だったと言えるのかもしれない。

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『セックス障害者たち』 バクシーシ山下

01692075 藩金蓮さんからお借りしていた『セックス障害者たち』を読み出したら、止まらなくなって一気読みしてしまった。

出てくるのは全て異形の者たちである。著者であるAV監督バクシーシ山下が、過去に関わった人間を、作品とともに振り返っていく。

自由自在に吐瀉物を操れる男、飲尿マニア、どんな状況でも相手が誰でもエレクトさせられる男、ヤギを見て興奮する者など、まあマニアな人たちがわんさか出てくる。

面白かったのが、『密閉監禁七日間』の話。地下で男と女を一週間、監禁しその模様を撮影するという趣旨のビデオなのだが、食料という事で地下に鯛や鶏が用意されている。

お腹が減ったらそれを捌くわけなのだが、板前経験のある男優、花岡じったが料理をして一番初めに食べる。その後は、序列の通りに食べていくという流れなのだが、これはAV女優(バクシーシ風に言えばAVギャル)の扱いにしても全く同じなのだ。

先に花岡じったが手をつけて、その後に他の者たちが行為に及ぶという、完全に原始的な世界になっている。

バクシーシ山下のシニカルな視点も面白い。これだけおかしな人たちと接していながら、自分はいたってクールなのだ。彼の基準は、変わっているかどうか? 社会的に不適応でおかしな人間に興味を引かれるようである。

突き詰めると、やっぱりこの人も“人間”というものに興味があるんだなと感じた。それを自分の作品を通して、どう表現していくかをやり続けたのだろう。

ただ、バクシーシ山下の友人であるカンパニー松尾から「お前の撮影したAVを見て、興奮した事がない」と言われるぐらい、エロからはかけ離れている。

AVの形こそとっているものの、この人のやりたかったのは“壮大な実験”、人は危機的な状況に追い込まれると、どのような顔を見せるのかを、目の当たりにしたかったのではないか?

僕はこの本を読んで、そう解釈した。

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『14階段』 窪田順生

09389702 藩金蓮さんのブログの、この記事を読んだあと、久しぶりにドキュメンタリーを読みたくなって、図書館で『14階段』を借りてきた。

拉致事件としては、あまりに有名な『新潟少女九年二ヶ月監禁事件』のルポルタージュである。

普段、小説を好んで読んでいる僕からすると、あまりの救いのなさに顔を顰めながらも、最後までページをめくる手が止まらなかった。

著者の窪田順生は、監禁犯の佐藤宣行の母と次第に親密になり、いろいろなことを聞き出していく。客観的というよりは、多分に主観的、感情的な本だが、逆にそこがこの本を面白くしていると思う。

読後にすぐに思ったのが“やさしさ”について。確かゴーマニズム宣言にこう書かれていた。

『本当のやさしさは、その内側に厳しさを含んでいる』と。

佐藤は両親に溺愛されて育った。何をしても怒られなかった。溺愛とはある種の虐待であると僕は思う。社会に出てから困るのは、他でもない甘やかされて育った子どもなのだから。

佐藤が生まれたとき、彼の父親は62歳で、同級生から見ると

「おじいちゃんみたい」

そう言われるほど、年を取っていた。この父親は、何があろうと息子を怒らなかった。佐藤に罵られ、丸めた新聞紙で頭を叩かれても。

そして36歳と高齢で佐藤を出産した母親も、甘やかし続けた。保険の外交員として優秀だった彼女は、佐藤が欲しいというものを何でも買い与えた。

それは、佐藤が引きこもりを始めてからも続き、やがて佐藤の欲しがるアイドルのCDや雑誌を買いに行かされるまでに発展する。

その接し方を見ていると、佐藤の両親は、息子の事を考えていないし、あまりに無責任で、本当の意味でのやさしさを持っていなかったと僕は思う。

間違っているなと思ったら、時には暴力を振るってでも、息子に教育をすべきなのではなかっただろうか。

佐藤が一度両親に

「親なんだからなにかあったら、かかって来い。親なんだから気をつかうな。堂々とした態度で叱ってくれ」

と訴えたという記述からも、佐藤自身が叱ってくれる事を望んでいたのは明白だ。

ちなみにタイトルの『14階段』とは、少女が監禁されていた家の階段の数の名前である。息子が逮捕された後、筆者たちと一緒に酸素呼吸器をつけ老いた母親が、踏みしめるように、上がっていく姿が印象的だ。

20年間、息子か一歩も上がることを許されなかった、14階段を。

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