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『永沢君』 さくらももこ

これまで『ちびまる子ちゃん』と『神のちから』と、さくらももこの漫画を二冊取り上げてきたが、今回は『永沢君』について書きたい。

ご存知『ちびまる子ちゃん』のスピンオフ漫画。

Nagasawa ちびまる子ちゃん内でも、いい味を出している永沢君の中学時代を描いたものなのだが、まあ妙な味わいのある漫画である。

アメトークで『中学校の時にイケていないグループに所属していた芸人』という企画をやっていたが、『永沢君』に出てくる藤木、小杉といったキャラクターは完全にイケてないグループに所属している。

イケてないグループがメインになっているわけだから、必然的に話が暗くなる。でもそれが毒々しくて面白いのだ。

さくらももこの暗黒面が遠慮なく発揮されている。

彼女はよく愚鈍な人間が嫌いと、いろいろな所で書いているが、倉田君という愚鈍を絵に描いたような男子が出てくる。永沢君に視力はいくつか尋ねられた倉田君は

「視力ってなんだっけ?」

とすばらしい返し方をするのだ。

花輪君もたまに出てくるのだが、彼は完全にイケているグループ(といっても花輪君は派閥を嫌う性格なので、取り巻きの女子といる事が多い)に所属している。

最初に永沢君を読んだ時、僕はまだ十代だった。『ちびまる子ちゃん』のような健全さを求めていたので「なんだこの漫画は……」と、顔に縦線を入れまくりながら、かなり戸惑った覚えがある。

しかし、今になって読んでみると、実に面白い。

ただ苦いものでしかなかったビールを、いつの間にか美味しく感じるようになっているのに似ているかもしれない。

一番好きなのが『ラジオ』の回だ。

実はハガキ職人の藤木(ペンネームはキジフ・ゲルーシ)に、永沢君が対抗心を燃やして、ラジオにネタハガキを送る。

どんな内容かというと

“うんこを利用しよう”というコーナーへの投稿で

①うんこを乾燥させて乾燥イモのかわりに食べる

②うんこを絵の具にして絵を描く

といった感じだ。

ちなみに永沢君のペンネームは、キンタマネギ男である。

しかし、残念ながらこのハガキ、ラジオ局に届かず、宛名違いで自宅に戻ってくる。

それを読んだ母親が

「うんこだかなんだか知らないけど、夜中に遅くまでこんなものを書いていたのかい」

と情けない顔になり

「……さんざん育てて、キンタマネギ男かい……」

と、ついには涙を流してしまう。

そういえば、僕が中二の頃、友人に年賀状を出したのだが、その時に

「あけまして、おめ○!」

と、物凄いバカな絵を描いて送りつけたら、住所が間違っていて家に戻ってきてしまい、母親にそれを見られ赤面した記憶がある。

しかし、今考えると、戻ってこなくても相手の親に、年賀状の内容を見られる可能性が高いわけで、どちらにせよ恥ずかしい行いだったと言わざるをえない。

まあ中学生男子なんて、こんなものである。

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『電影少女』 桂正和

211q2601gkl お盆の間、少し実家に帰っていたのだが、その時に本棚にあった『電影少女』が目に付いたので、手にとって読んでみた。

この漫画は僕が小学校の頃に、週刊少年ジャンプで連載されており、リアルタイムで読んでいた記憶がある。思春期に足を踏み入れようか、という時期の小学生には、ほどよくエッチな漫画で、友達と「今週号は凄かったなあ」と、鼻息を荒げながら語り合ったのが懐かしい。

僕はその頃、『電影少女』を単なるエロい漫画としか捕らえていなかった。ヒロインであるもえみちゃんは、女の子らしくて可愛いなと思っていたのだが、ビデオガールである、あいは、主人公であるヨータ(ヨーダじゃないよ)の前でも、平気で裸になるし、なんだかなとあまりいい印象を持っていなかった。

読み直してみると、先が気になってとまらなくなってしまった。僕は基本的に恋愛系の話はあまり読まないのだが、これは掛け値なしに面白いと思った。作者自身も語っているが、心理描写が徹底している。漫画を読んでいる途中、ふと新海誠監督の『秒速5センチメートル』を思い出したぐらいだ。

あと、巻数の割りには登場人物が少ない。連載となると、次々とキャラクターを増やしていく漫画も少なくないのだが、この漫画にはそれがない。いわゆる捨てキャラというのが出てこない。それぞれに役割があり、血肉が通っている。あまり好きではなかった、“あい”が非常にいじらしく思えてくる。

実家では11巻までしか読まなかったので、その続きを自分の家に持って帰ってきて読んだのだが、なんと巻末で桂正和氏と今、世間を賑わせまくっている酒井法子が対談をしていた。

この頃は、まだシャブに手を出していなかったんだろうなあ、とかいらん事を考えながらその対談を読んだ。どうやら酒井法子がアニメビデオ『電影少女』の主題歌を歌っていた事から実現した対談だったようだ。

ちなみに『電影少女』を読みながら思ったのは、まだこの頃って全く携帯電話が普及していなかったんだなという事。もし、携帯が登場していたら、結構話が変わっていたように思う。特にもえみちゃんが、留守番電話機能付きの電話を買う、という話はまんま無くなっていた可能性が高い。

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『21エモン』 藤子F不二雄

21 僕はどちらかというと藤子F不二雄先生よりもA先生の方が好きなのだが、でもどちらの先生方も尊敬しているのには、間違いない。

中でも『21エモン』は、マンガがボロボロになるまで読み込んだ愛着のあるマンガだ。

この前、ボタンポン星の事をふと思い出した。

『21エモン』の最後の方の巻で、主人公である21エモンがボタンポン星を訪れる。

この星はハイテク化が進んでおり、何でも機械が代わりにやってくれる。

ボタンを押すだけで、全てが可能になっているのだ。

ちなみに、この上を行くのがボタンチラリ星で、ボタンを押すまでもなく、チラリと見るだけで事足りるという物凄いテクノロジーを持っている。

ボタンポン星は、ボタンチラリ星の人たちに劣等感を持っているのだが、それはさておきボタンポン星へ降り立った21エモンが、歩いているとベルトコンベアーに乗った老人たちがいる。どこかへ運ばれているのだが、不思議に思った21エモンが老人に尋ねると

「0次元に行くのだよ」

という答えが返ってくる。

「0次元って何?」と質問する21エモンに、老人は答える。

「この星では医療が発達しすぎて、死ぬ事ができないんだ。だから死にたくなったら0次元に入るんだよ」

老人の後ろの椅子に座っていた21エモンは慌てて、そこから脱出する。

小学生の頃に読んだのだと思うが、読みながらぞっとした記憶がある。

色々な人が指摘しているが、このボタンポン化現象は、現代の日本で進んでいる。

欲しいものがあれば、マウスをクリック(すなわちボタンをポン)するだけで、ネットで色々な物を買う事ができ、家まで配達してくれる。

そう言えば、福祉の発達している北欧は自殺率がかなり高いらしい。(日照時間の短さも関係しているらしいのだが)。

難しいもので人間というものは、過度なストレスに晒されると潰れてしまうのだが、全くストレスのない状態が続くと、今度は逆にそれが原因で鬱状態になる傾向にあるようだ。

このように優れたSF作品というものは、未来を予言する。

F先生、恐るべしである。

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『箱舟はいっぱい』 藤子・F・不二雄 異色短編集3

今まで読んだ漫画の中で、最も衝撃を受けたもの。

それが『藤子・F・不二雄 異色短編集』のシリーズである。

ほとんど子ども向けの作品ばかりを描いてきたF先生が、大人向けに書いたのがこのシリーズ。まさに名作ぞろい。外れがまるでない。

最初のつかみ、後半に行くにつれての盛り上がり、そしてラストページでの裏切りなど、ストーリー作りの基本が詰まっている。

ここから先はネタばれになるが、僕が衝撃を受けた収録作を紹介する。

『箱舟はいっぱい』という異色短編集の3巻に収められた『イヤな イヤな イヤな奴』という話。

Hakobune 宇宙船で行われている、トランプの賭博シーンから話は始まる。服務規程で禁止されている船内賭博をやっている四人。一触即発の空気。長距離宇宙船に乗っているため、かなりストレスが溜まり関係がぎくしゃくしている。

そこへ遅れて入ってくる整備士のミズモリ。彼はちょっとカイ・シデンとかぶるのだが、いつもヘラヘラしていて、どこか人を小ばかにしている節がある。笑い方までが、人を苛立たせる。

他の船員たちは、賭博でミズモリに貸しを作っている。他のキャラクターは、感情の起伏が表れやすいので、ミズモリのキャラが浮き立って見える。

時間が進むにつれて、ますます関係が悪くなる船員たち。不思議な事に、もう少しで大喧嘩となると、どこからともなくミズモリが現れて、怒りの矛先を自分に向ける。

ある日、ミズモリが何の前触れもなく、船内賭博の事を本社へ通報したと告げる。怒り狂う船員たち。他にも、通信士の飼うアルタイル犬を食べたとか、船長のクロスワードパズルを解いてしまったとか(ここだけなんだかスケールが小さいが)、矢継ぎ早に告白するミズモリ。

憤怒した船員たちは、ミズモリを追いかけ回す。

「リンチは厳禁だぞ」

というミズモリを容赦なく殴打する船員たち。部屋の電気を消し姿をくらますミズモリ。

彼が向かった先は原子炉。制御弁に手をかけて、近づけばロケットを吹き飛ばすと脅しにかかるミズモリ。

仕方なく避難する一同だが、共通の敵を前にいつの間にか団結しており、不穏な空気はどこかへ行っている。

そのままの状態で、地球へ帰還する宇宙船。

ラストのページ。ニホン宙運トーキョー本社に出向いているミズモリ。

誰かから札束をもらっている。どうやら、何かの報酬のようである。

お金を渡しながら「収めてくれたまえ。いいかせぎだねえ」と言うお偉方に

「でもありません。からだを張っての命がけの仕事ですからね」と答えるミズモリ。

やはり、へらへら笑っている。

最後のコマで下記のような解説が入り、ミズモリの正体が明らかになる。

<にくまれ屋>

人間は共通の敵の前で、もっとも強く結束する。この習性に目をつけた宇宙時代のビジネス。

そう、もしミズモリが実在するのなら、NHKの『プロフェッショナル 仕事の流儀』に出られるほど、プロフェッショナルな男だったのだ。

久々にこの話を読んだ僕はある事を考えた。

日常生活で、ある一定の集団になると、いじられキャラというのが出てくる。

その定義を調べると

  • いじられて抵抗する
  • 恥ずかしがる
  • いじる隙が明確である
  • いじって痛々しくない
  • 反応が面白い
  • 反応する
  • 声を出す
  • ついついうかつなことを口にしてしまう
  • 可愛げがある
  • 自慢するべきことを恥じている
  • 間違った方向に優秀である
  • などらしい。『いじる』と『いじめる』は結構な類似が見られると思うのだが、一番の違いはやはり上から四つ目の“いじっても痛々しくない”だろう。

    こいつなら、耐えられると思えるから、安心してきつい言葉を口にできるのである。

    ということは、本格的な宇宙時代が到来した暁には、『にくまれ屋』ならぬ『いじられ屋』というビジネスが成立しそうな気がする。

    “いじられる”とは、愛されている事の証明なのかもしれない。

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    『神のちから』 さくらももこ

    Kaminotikara さくらももこは、シュールな人だ。と言うか、シュールな笑いが好きな人である。

    国民的漫画となった『ちびまる子ちゃん』は、一般受けしやすい漫画だ。著者の才能が豊かなので、メジャー用のネタとマイナー用とで、使い分けができるのだろう。

    クリエイターを大まかに分けると、メジャー、マイナーと媒体を問わずに作品を作れる人と、いわゆるガロ系といった描きたい物を表現するというマニアックな人の2パターンに分かれるのかなと思うが、さくらももこは明らかに前者だ。

    『ちびまる子ちゃん』のように、わかりやすいキャラクターギャグも描ければ、『神のちから』や『永沢君』といったシュールでブラック極まりない作品も描ける。

    『神のちから』は、本当にシュール極まりないとしか形容できない話が、たくさん収録されている。僕は、大好きな漫画なのだが、これを面白いと思うかどうかは、その人の好みに委ねられると思う。いきなりこれを描いて、投稿か持ち込みをしても、かなり高確率で「これはちょっと」と言われると思う。『さくらももこ』という名前があってこそ、初めて商売として成立するのだ。

    この前、『ちびまる子ちゃん』の3巻を読み返していて、「あっ」と思った。

    正月、まる子の家に親戚の子どもたちが集まるのだが、そこに『みどりちゃん』といった一風変わった女の子がいる。彼女は、まる子の祖父である友蔵の知り合いの家の娘で、親戚ではない。

    カルタでまる子、とかなりいい勝負をしたみどりちゃんだったが、一枚差で敗れてしまう。その後、悔し涙を流す彼女を見てまる子たちは

    「こんな遊びでも負ければ悔しがる、りっぱな血筋の子どもなんだな」

    と感心する場面がある。まあそれはいいのだが、その後まる子の母親がお雑煮を運んでくる。

    ハフハフ言いながらも、笑顔でお雑煮を食べる子どもたち。

    ここで、ポツリとみどりちゃんが言う。

    「…おぞうにって笑いながら走ってくる、かぶき役者みたい…」

    これは、さくらももこのシュールさが『ちびまる子ちゃん』の中で炸裂している瞬間だぞと、僕はひそかに感動した。

    まる子の返答はと言うと、顔に縦線を走らせながら

    「ふーん、………そう」

    と苦笑いを浮かべるだけなのだが、『ふーん』と『そう』の間の三点リーダーが三つ続くところがミソだ。それだけ、まる子が困惑しているという証拠である。

    ちなみに、『ちびまる子ちゃん』に出てくる登場人物の苗字(花輪、丸尾、みぎわなど)は、ガロでよく漫画を描いていた人たちの名前から取られている。

    こういう所にも、わかる人にだけわかる仕掛けがしてあるのだ。きっと、さくらももこはかなりの漫画オタクなのだろう。

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    『ハトのおよめさん』 ハグキ

    7andy_07066354 専門学校に通っていた頃、女性漫画家の先生がいた。この人はかなり笑いのセンスがあり、普段のしゃべりも達者だった。

    某雑誌にて4コマギャグを連載していたのだが、僕もギャグ漫画が好きなので、よくその手の話で盛り上がっていた。その先生に『ハグキ』という漫画家が面白いと聞いたのが、今から十年ほど前である。

    妙なペンネームなので、印象には残っていたのだが、どんな漫画を描いているかも知らなかったし、未読だった。

    去年、相方と一緒に合作をしている漫画を持って、東京に行ったときの事である。アフタヌーンへ赴いたのだが、その時漫画を読んでくれたのが『ハトのおよめさん』(通称、ハトよめ)の担当の方だった。あとで調べると作者はあのハグキ氏。

    さすがにこれは読まないと思いつつも、なんやかんやあって数ヶ月が経った。

    である日、競馬でちょっとだけ買った僕は、突如、『ハトよめ』を購入しようと思い立ち、ブックオフオンラインでハトよめを大人買いした(ちなみにアマゾンと同じく、1500円以上の注文で送料は無料になるシステム)。

    そして届いたのが数日前。

    読んでみると、これが面白い。猛毒である。

    『笑いとは毒である』

    そう言ったのは故・いかりや長介氏だったはずだが、その言葉のまんまの漫画である。

    『ハトよめ』の編集担当の方が、これは好きな漫画と嫌いな漫画のアンケートの両方に入るんですよと、言っておられた。

    確かにわかる気がする。『おぼっちゃまくん』、『稲中卓球部』などもそうだと思うのだが、ギャグ漫画というのは、好き嫌いがはっきり分かれる。

    受け付けない人にとったら、ただ不愉快なだけだ。

    でもスレスレの所を狙っているハグキ氏のセンスは、やはり抜群だと思う。一見すると、低レベルだと思えるボケも、実は高等技術を使っているのだ。

    はまるか、はまらないかは、あなたのセンス次第である。

    まあブラック・ジョークが嫌いな方に

    『ハトよめ』を読め! 

    と言うのは一種のハラスメントになるだろう。

    そんな『ハトハラ』をするつもりは、毛頭ないが、興味を持った方は、ぜひご一読を。

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    安野モヨコ 『監督不行届』

    去年の10月頃に『女性とエンターテイメント』という記事を書いた。まあ笑いは男性の方が向いているのではないかという事を書いたのだ。

    僕は女性が感性だけで書いた作品が、凄く苦手だ。逆に言えば俯瞰で物事を見られる女性の作品は好きである。

    僕の好きな女性漫画家は、さくらももこ、岡田あーみん、森下裕美、ねこぢる、など。

    彼女たちは、自分を相対化して、客観的に見ることができる。だから読んでいて面白い。

    07143967_jpg_2 最近、安野モヨコ 『監督不行届』を読んだのだが、非常に面白かった。安野モヨコもまた自分を客観視できる人間だ。

    どんな内容の漫画かと言えば、夫である庵野秀明との結婚生活を面白おかしく、描いている。

    これまでの人生において、オタク系男子と付き合った事のなかった安野モヨコが(理由は自分がオタクだと自覚していたから)、オタクの日本代表みたいな庵野監督との生活で、自分の中へと必死に抑え込んでいた、オタクさを段々と発揮していく所が笑いを誘う。

    巻末で庵野監督の語りが収録されている。

    「嫁さんはただのオロノケマンガにならないよう、読者サービスを主体にいつも真摯に考えていましたね」

    と監督は語る。

    よく見知らぬ女性のブログを読んでいると、ひたすらノロケているだけのブログに遭遇する事がある。山でヒグマに会うよりは、幾分マシかとは思うが、それでも一瞬「ああっ出くわしたか」と精神的なダメージをこうむる。

    嫌ならすぐにバッテンマークを押して、ページを閉じればいいのに、なぜか見てしまう。そして読んだ後、「うーん。これは新手の嫌がらせだな。けしからん」と同じ感想を抱くのだ。

    話が脱線してしまったが、徹底してエンターテイメントにこだわる、安野モヨコさんの姿勢に深く共感し、自分もこうありたいもんだなと思ったという、お話でした。

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    『燃える! お兄さん』 佐藤正

    今さらながら、当ブログの名前について言っておくと、僕の大好きな漫画『燃える! お兄さん』を参考にさせてもらった。一字だけ変えて『吠える! お兄さん』というわけだ(そんなに吠えてはいないが)。

    Photo  『燃える! お兄さん』はジャンプに連載されていたギャグ漫画だ。小学校の頃、よく読んでいた。だがどちらかというと、僕は新沢基栄の『ハイスクール! 奇面組』の方が好きだった(ちなみに佐藤正は新沢基栄の元アシスタント)。

    奇面組の方はどちらかというとソフトなギャグである。毒性もそんなに強くない。作者が下ネタを嫌い、アニメ化の際に「パンチラは絶対なしで」と要望を出したほどである。

    対して『燃える! お兄さん』の方は、毒が非常に強い。僕は筒井康隆が好きなのだが、二十歳を越えてから『燃える! お兄さん』を読み直し、完全に筒井テイストだと思った。

    筒井康隆と言えば『無人警察』での癲癇の記述が、差別に当たるとされ、てんかん教会から抗議を受けたのだが、佐藤正もこの手の差別事件を起こしている。

    1990年にジャンプの第45号、『燃える!お兄さん サイボーグ用務員さんの巻』で、主人公(国宝憲一)の担任である早見先生が、仕事上の失敗から担任を外され同校の用務員をすることになる。そこで憲一は

    「もう先生じゃないんだな。ただの働くおっさんなんだな」

    という台詞を吐き、早見先生をいじめまくるという内容だった。読者や用務員組合から抗議が殺到し、ついにはその話を掲載したジャンプを回収するという騒動にまで発展した。

    『レッツラゴン』などは特にその傾向が強いのだが、ギャグ漫画のキャラクターというのは、登場人物同士が真面目に戦っている。当の本人たちは大真面目なのだが、その様が滑稽だからこそ、読み手は笑ってしまうのだ。

    そういう面も含め『燃える! お兄さん』はあらゆる意味“戦い”の漫画である。文字通りキャラクター同士もよく戦ったし、ぎりぎりの差別表現で読者とも戦っていた。

    笑いは突き詰めると、絶対に差別問題に行き当たる。だからこそ抗議されたときに、自分は意図して、この表現をしたのだと言える、強い信念が必要なのだろう。

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    『行け! 稲中卓球部』 古谷実

    稲中は僕が青春時代に読んだ非常に思い入れのあるギャグマンガである。高校生の頃に新刊が発売されるのを待ち遠しくて仕方なかった。出たらすぐに高校の近くにある本屋へ行って購入し、帰りの電車で読むのだが大抵最後まで読めなかった。

    面白すぎるのである。

    このまま読み続けると、車内で大笑いしてしまい変な人扱いされるなと思って、いつも途中で断念していた。

    お笑いの世界を見てもわかるとおり、男の方が圧倒的に笑いに向いている。だからギャグマンガというのは、あまり女性が登場しない。出てもそんなに活躍しない。だがこの稲中は、女の子がよく出てくる。それも重要なキャラクターとして。

    稲中はギャグマンガであると同時に、恋愛要素が結構入っており、それが話を更に面白くしている稀な作品である。

    僕の好きな回は第四巻、その46『竹田、おっぱいをもむ』である。

    Thum_0004 部室に一番乗りを果たしたと前野が、その開放感から全裸になり股間を卓球台にこすりつける場面から話は始まる。その後、井沢、田中がやってきて似たような変態行為をする。そこへやってくる竹田(卓球部の部長)と岩下(竹田の彼女、ちなみにヘビースモーカー)がやってくる。

    偶然、同じロッカーに隠れてしまった前野、井沢、田中。

    二人で卓球を楽しむ竹田と岩下。休憩していた二人はいつしかいい雰囲気に。竹田にもたれかかる岩下。

    「ねえ、今、一番したい事があるでしょ」と尋ねる岩下。

    「あるよ」と竹田。

    「せーので言ってみるか?」と岩下。

    「わかった」と竹田。

    頬を染めながら「キス」と告げる岩下だが、竹田は「おっぱいを……」と言ってしまう。

    この辺りが非常にリアルだ。男性なら分かると思うが、中学生男子の頭の中を覗くと六、七割以上はエロい事ばかり考えている。

    背中を向けて少し怒る岩下だが、おっぱいを触る許可を与える。ダイレクトに触る竹田に驚く岩下。

    一方、その頃ロッカーでは井沢と田中がパンパンに股間を膨らませながら前傾姿勢で泣いている。

    「オレの生きざま、とくと見てろよ!!」と意気込んで出ていく前野。

    キョトンとする竹田たちに

    「オイラももむぅ~~」とチョケたものの、撃沈し再びロッカーに戻ってくる前野。

    「大人になったな……竹田……」と言いながらロッカーに入ろうとする前野がなんとも言えない切なげな表情を浮かべている。

    何だかんだいいつつも、おっぱいの力は偉大である。

    落ち込んでいる男性諸君は深夜に一人で「おっぱい」と呟いてみればいい。

    きっと元気が出るから。

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    『身から出た鯖』 中崎タツヤ

    この前の金曜日、塾長宅で開かれた上映会に参加した。上映された映画は『ゴジラ』の記念すべき第一作目。僕は不条理な話が大好きなので、存在そのものが不条理極まりないゴジラは、これから作品を書く上で大いに参考になった。

    その『ゴジラ』を見て、ふとある漫画を思い出した。それは僕が最も敬愛する漫画家、中崎タツヤの『身から出た鯖』第四巻に収録されている『神の日』という短編漫画。

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    まずゴジラのような怪獣が街へ向かっている絵が入る。そしてタイトル。コマが変わり、道端にいる猫をかわいがる少女に「そんなものに構うな」と注意する母親。はっとする二人。何かを見上げている。次の瞬間、無残にも二人は怪獣に踏み潰される。

    次のコマは夫の母親に謝っている若い女性。どうやら嫁姑問題がこじれて、別居するという流れのようだ。姑の方は意外にも穏やか。「困ったことがあったら、いつでも言ってくれ」と夫。「そうするよ」と微笑む姑。次のコマでズシーンという音とともに三人は踏み潰される。

    この後、2ページに亘って、賄賂を贈ろうとしている政治家、イジメをしている女子高生とイジメられている女子高生、公園でイチャついているカップル、娘を肩車している父親(会話から父子家庭というのがわかる)、こちらに背中を向けて部屋で自慰をしている男などが次々と怪獣に踏み潰されていく。

    興味深いのが、次のコマになるとあっという間に殺されるという表現だ。笑っていた人間が次の瞬間、屍になっている。当然だが怪獣には何の躊躇も温情もない。ただ踏み潰すだけ。それだけだ。

    例えば原爆で亡くなった人は、それを予期できてない訳だから、投下される前は普通に生活していた訳だ。次の瞬間には跡形もなく消えている。それを考えるとリアルな描き方である。

    そして最後のページ、怪獣が海へと帰っていく。

    段々と小さくなっていく怪獣。

    最後から2コマ目で怪獣が口にした

    「オレって平等じゃん」

    という台詞。これが堪らなくいい。

    悪事を働いている人間も、政治家も、子猫も、部屋で陰部をいじくっている男性もすべて平等に殺される。

    初めてこの漫画を読んだ僕は大笑いした。そしてたった4ページでこんな深みのある作品を作り出せる中崎タツヤにを一瞬のうちに尊敬してしまった。

    これを完全に踏み潰される民衆の視点から描くと『クローバーフィールド』になるのだが、断然この『神の日』の方が質が高いと思う。

    時に漫画というのは、お金をかけずとも物凄いものを作り出せる可能性があるというのを証明している。それは画力のある、なしに関わらない。中崎タツヤの絵は物凄く味があるが、上手い絵ではない。ただ見やすくて伝わりやすい絵ではある。

    これを書いていて筒井康隆の『死にかた』という短編小説を思い出した。構成がこの『神の日』とよく似ている。

    いきなりオフィスへやってきた鬼がそこにいる社員を金棒で次々と撲殺していく不条理な話。こちらは殺される側がなんとか助かろうと、様々なリアクションを取るのが面白い。危機的状況に陥った人間の滑稽さを上手に描いている。

    どちらもお勧めなのでこの『身から出た鯖』と併せてお読みいただければ幸いである。

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    『ちびまる子ちゃん』 さくらももこ

    さくらももこは意地悪である。意地悪だから笑いが作れる。

    ご存知の通りいまや『ちびまる子ちゃん』は国民的マンガ・アニメとなった。りぼんの通巻最高発行部数を誇る。

    日曜日には、ちびまる子ちゃんの後にサザエさんが放送されている。両方とも万人に受け入れられているのは間違いない。

    だが、この2つは大きな違いがある。ちびまる子ちゃんの方はリアルで実にシニカルだ。

    色々な所で指摘されているのが、ちびまる子の子供世界には、確固たるヒエラルキーが存在している。大野君や杉山君が最上位で、そして花輪君、丸尾君、はまじ、ブー太郎、永沢、山根、藤木、山田と言った感じの序列になるだろうか。

    上位の者は君付けで藤木や山田はまる子も呼び捨てにする。こういうところがシビアで良い。

    さくらももこは、男性優位と言われているギャグ漫画の分野で、勝負できる数少ない女性マンガ家なのだ。ギャグ漫画を描けると言う事は、客観視できるという事である。だから必然的にシニカルな視点を持つようになるわけだ。

    エッセイなどにも書いているが、さくらももこ自身、幼少の頃から非常に醒めたガキだったそうだ。確か松本人志も自身の子ども時代を振り返って同じような事を言っていたはずである。

    Tibimaruko_2 一巻で『まるちゃん遠足の準備が好き』の2ページ目に登場する洟垂れの男の子の周りには何とハエが2匹飛んでいる。愚鈍な者に対する嫌悪感めいたものすら感じられる。

    この話の続きが大分先の5巻にあるのだが、まる子の横に座る例のハエのたかっていた男の子が、バスの中のしりとりをする際に、いきなり末尾に『ん』のつく言葉を口にしてしまう。

    バカは徹底的にバカとし描かれている(もちろんそれが作品を面白くもしている)。

    この遠足で登山へ行ったまる子が山頂で、たまちゃんたちと楽しそうに食事をする横では、友達のいない男子が一人暗い顔をして心霊写真を眺めている。その男子のコマにはきっちりモノローグで、『彼には友人がいないのだ』とまで書かれている。普通、ほのぼのしたマンガではこういうシーンはあまりない。

    言い換えればさくらももこが本質的な意味でギャク漫画家という事の証明になるのかもしれない。

    ちびまる子ちゃんは5巻までが凄く面白い。その後の巻ではどちらかというと人情話へとシフトチェンジしてしまった(野口さんは大好きだけど)。
     

    ちなみに僕は『サザエさん』をユーモアマンガだと解釈している。あれはギャグではない。ギャグにはもっと毒が必要だ。

    『意地悪ばあさん』はどちらかと言ったらギャグ漫画に近い。作者の長谷川町子自身は、『意地悪ばあさん』の方が好きだったそうだ。

    『サザエさん』は大衆向けの作品なので、結構無理をしていたのかもしれない。

    さくらももこの意地悪さ満開の漫画をもっと読んで見たい。心からそう思う。

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    『ゴールデンラッキー』 榎本俊二

    『世にも奇妙な漫☆画太郎』の回で漫☆画太郎がベスト5に入るくらい好きだと書いた。今回紹介する『ゴールデンラッキー』の作者、榎本俊二は恐らくベスト1か2に入る。

    この漫画と出会ったのは約五年前。漫画家を目指していた僕が、書き溜めた作品を抱えて東京へ行ったときのことである。持ち込みというのは大体、早い時間で午後一時くらいから見てくれる。だから午前中は結構暇なのだ。

    集英社と小学館の場所を確かめた僕は、神保町の本屋で時間を潰していた。マニアックな漫画ばかりをそろえている書店で、こんな漫画があるのかと感心しながら本棚を見ていた。

    一冊の気になる漫画が目に留まった。手に取ってみた。太田出版から出ているゴールデンラッキーという四コマ漫画だ。30956317

    後から知ったのだが、これは榎本俊二のデビュー作でモーニングに連載されていたものをまとめて太田出版が上・中・下の三巻セットで出したものだった。

    (←は上巻)

    上巻の帯に四コマが二つ収録されていたのだが、それを読んだ僕は、『ちびまる子ちゃん』に出てくる野口さんのように「クックック」と声を出して笑ってしまった。

    財布を確認すると二千円入っている。ゴールデンラッキーは千二百円。新幹線の往復チケットはもう買ってあったので、まあ食費を切り詰めればなんとかなるかと思い、レジへと走った。

    帰りの新幹線で僕はゴールデンラッキーをむさぼるように読み続けた。こんな天才がいたんだと興奮しながら。

    中巻の巻末に描いてある、『あとがき漫画』で読者の評価が真っ二つに分かれたと書かれていた。結構、罵倒するようなハガキも届いていたそうだ。「編集長は榎本俊二に弱みを握られているのですか?」というようなものも中にはあったらしい。

    分かる気がする。これは確実に読者を選ぶ手の漫画だ。感性で描かれているシュールなギャグなので、分からない人には良さが皆目、理解できないだろう。

    “ミュージシャンズ・ミュージシャン”という言葉がある。同業者から絶賛されるタイプの音楽家のことをいうのだが、榎本俊二はまさにこちらのタイプだ。一般の人よりもむしろプロのクリエイターなどから好まれる。

    現にあとがき漫画で、岡崎京子、花輪和一、吉本ばなな、ゴンチチといった面々から賞賛されたと書いている。

    そういえば今年、漫画の持ち込み(原作が僕で作画は別の人が手がけている)に行ったときに、やたらと“エノモトファン”の編集者が多かった。

    やっぱり玄人受けする人なんだなあと、そのとき改めて思ったものである。

    天才には二つのパターンがある。世間に認知されている天才と、そうではないものとが。

    残念だが榎本俊二の凄さは、世間的にあまり知られていない。

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    『世にも奇妙な漫☆画太郎』 漫☆画太郎

    漫☆画太郎が好きだ。現役漫画家の中でベスト5ぐらいに入るほど好きだ。

    少年ジャンプで連載されていた珍遊記は読んでいたが、この頃はさほど好みではなかった。ドラゴンボールのパロディ(フリーザが激怒する回)などは笑ったが、汚い絵の漫画家だなあというぐらいの印象しかなかった。

    まだ僕が漫画を描いていた頃、持ち込みに行ったときの話である。編集者の人に「漫☆画太郎先生のデッサン力は、実は凄い高いんだよ」と聞かされ、そうなんだと驚いた。

    物語の創作家は短編が得意なタイプと長編がで持ち味を発揮すると二つのタイプに分かれるのだが、この人は完全に短編タイプだ。

    漫☆画太郎自身が「自分は大の連載嫌いである」と語っていることからもそれは推測できる。

    さて『世にも奇妙な漫☆画太郎』である。現在、ビジネスジャンプで連載されている当作品であるが、相変わらずハチャメチャである。人は死にまくるし、近親相姦はあるし、スカトロジーはあるしと、自由に暴れまわっている。

    ブラックなジョークが多く、中にはヒッチコック劇場のような後味の悪い結末のものもある。ひきこもりやストーカーなど扱い題材そのものがネガティヴなものが多い。

    圧巻だったのは二巻に収録されている『シムラからの年賀状』だ。

    加藤という男の元に毎年シムラから年賀状が送られてくる。見せ方が凄く上手くて、右ページに送られてきた年賀状を描き、左ページではその年賀状を見た加藤の反応を描いている。

    さわりだけ説明すると、最初の年賀状は『僕たち結婚しました!』というものなのだが、それを見た加藤が「それにしても奥さんブサイクだな」と呟く。

    そして翌年の年賀状。奥さんは整形しており、美人になっている。「えらい美人になったな」と加藤。

    そしてまたその翌年。『子供が生まれました』と書かれているが、残念ながら子供は整形前の奥さんにそっくりだ。

    次の年からがえらく急展開。『嫁が子供を殺して刑務所に入りました』である。子供の遺影を持った喪服のシムラが涙を流すという非常に悲しい絵だ。

    気になった方は、買ってこの先の結末を確かめてみて欲しい。傑作であることだけは保証しておく。

    あまりにも有名になった「シムラ後ろ!」のセリフを非常に上手く使っている。

    興味を持たれた方はぜひ読んで欲しい。

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    『日本一の男の魂』 喜国雅彦

    『日本一の男の魂』にいう漫画をご存知だろうか? 今年、休刊したヤングサンデーに昨年の五月まで連載されていた傑作エロギャグ漫画である。

    飲尿プレイがあったり、男が男にフェラしたりと、活字にするとかなり下品なことをやっているのだが、読んでみるとさほどドギつくないのは、恐らく著者の人間性だと思われる。フェティシズム中心のネタが多い。

    この人は主にギャグ漫画を生業にしているのだが、多才なので『月光の囁き』という谷崎テイスト溢れる青春漫画を描いていたりもする。こちらもフェチ要素の強い作品だ。

    さて、話を『日本一の男の魂』の方に戻そう。

    この漫画の第八巻に収録されている『日本一の座布団男』という話がある。

    どんな話かというと……

    桜という女子高生が、偶然、松村君の顔を座布団替わりにしてしまう。ギャグ漫画なので「そんな偶然あるか!」というツッコミは置いといて、この松村君は本当に扁平な顔をしているのだ。

    「顔に座ってごめん」と謝る桜ちゃんに松村君は照れ笑いを浮かべながら言うのだ。

    「僕の顔でよかったら座ってくれていいよ。桜さんの座布団になら喜んでなるよ」と。

    その後も二人の関係は続くが、常に松村君は桜ちゃんに座られている。

    高校生活が終わりに近づいたある日、桜ちゃんはしみじみと松村君に語りかける。

    「ありがとう。あなたの顔座布団のおかげで私の高校生活は楽しかったわ」

    「僕もだよ」と松村君。

    女子大の試験に臨む桜ちゃん。しかし、問題に集中できない。なぜならそこに松村君がいないから。

    桜ちゃんが困っていると、ドアが開く。入ってきたのは松村君。走ってきたのだろう。呼吸が荒く、その顔は汗まみれだ。

    「なんだ君は?」と尋ねる試験官に、「あそこの女子高生の座布団です」と言い放つ松村君。

    遅くなってごめんと謝る松村君に桜ちゃんは尋ねる。

    「あなたの試験はどうしたの? 今日でしょ」と。

    俯きながら答える松村君。

    「決めたんだ。僕はずっと桜さんの座布団として生きていくと」

    試験官に座布団としての入室を許可された松村君。時間がないので、試験に集中する桜ちゃん。

    時は流れて六十年後……

    二人の老人が縁側で茶を飲んでいる。

    「いい天気だな、ばあさん」

    「本当ですね。おじいさん…」

    おばあさんの顔は見えているが、手前にいるおじいさんの顔が確認できない。

    でラストのページ。

    「あの鳥はなんじゃろ?」と尋ねるおじいさんの顔は、吹き出しに隠れて依然、確認できない。

    「えーと、あれはね――」と空を見上げるおばあさんの尻の下には、年老いた松村君の姿。学生服のままだ。

    松村君は高校卒業後もずっと桜ちゃんの顔座布団として生き続けていたのだ。

    この話を読んだ僕は、ギャグ漫画だというのも忘れ、胸が締め付けられるような切なさに襲われた。なんて悲しいんだ松村君。愛する人の傍にいられるのなら、例え顔座布団でもいいのかと。

    近くて遠い距離感というのは本当に切ない。たまにもう少しで届くのではと錯覚してしまう事もあるだろう。でも届かないのだ。松村君がいくら頑張っても、桜ちゃんの恋人、夫には永遠になれないのだ。

    尾崎豊の回帰線という二枚目のアルバムに『群集の中の猫』という名バラードがある。

    その中に

    『上手に笑っても、君の瞳に僕が映らないから』という歌詞がある。

    これも泣けるほど切ない。相手に認識されていないというのは哀しい。

    くしくもマンガに登場している松村君は全てのシーンで微笑んでいる。

    僕が松村君に激しく共感したのは、これは自分ではないかと思ったからだ。

    片思いの切なさは嫌になるほど知っている。

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